ギャンブルをしていると見下される。そんな人は多いかもしれません。

たしかに、ギャンブルは真面目なイメージがありませんし、遊び人であればいい方で、"低能"と思われるフシすらあります。

"んなこたあない"といいますが、真面目な出会いを求めている会合で、"趣味=ギャンブル"といったら秒で孤立してしまうことは明らかです。とはいえ、思うのです。

なぜ、目に見える競馬や競艇、競輪、パチンコ、麻雀などばかりを目の敵にするのか…。

●ギャンブルが低質扱いされる理由は?

そもそも競馬もギャンブルですが、近年若い俳優を起用したCMをうったり、女子向けに競馬を楽しめるコンテンツを作るなどクリーンなイメージを打ち出そうとしています。

まぁ、媚る必要はないといいつつ、ハンチングに襟を立てたオイルにまみれたブルゾン、チノパン、東京靴流通センター的な300円台のスニーカーのオジさんばかりが集えば、そりゃギャンブルも怖がられてしまうでしょう。

さらにギャンブルは危ない人や真面目に働かない人、せっかく真面目に稼いだのにバカな夢を見てすぐに現金を溶かす人などもいますし、借金まみれで事件を起こす人もいます。しかし、個人的に思うことがちょっとあります。

それがこちらです。

●そんな人ばかりではない

たしかに前述したような極端な競馬マニアはいます。

しかし、競馬場や競馬をやっている人たち=そういったバグッた人たちではありません。

いくらでも普通の方がいらっしゃいますし、芸能人や著名人の中でも品のよいような方が競馬を楽しまれていることも少なくないでしょう。

しかし、"高校生はTwitterやYouTubeばかり見ていて勉強しない、ゴミクズだけになった"というように、ほとんど真面目でちゃんとしている高校生を差し置いて極端な人だけを全体像と捉えてしまう、そんな発想が競馬でも起きているということなのです。

マスコミや映画、マンガ、ドラマは目立つギャンブラーを取り上げますし、ギャンブルで借金まみれ一家離散、自暴自棄で犯罪を犯す…といった人たちは画になります。

10万人に一人の人をギャンブルをする人たちの顔や性格代表といった形で取り上げ、それを私たち一般市民たちは信じてしまうわけです。

この構図は基本的に忘れないとなりません。あり得ないのですから、こんな極端なことは。

●人生自体がギャンブルではないか?

さて、話がぶっ飛びまくりましたが、ここから本題です。

ギャンブルをバカにしたり低質に見ている方たちに伝えたいのですが、基本的には"人生こそギャンブル"だと、なぜ気がつけないのでしょうか。

例えば、どこの学校に通い、どんな仲間と付き合い、進学、就職し、どんな相手と結ばれ子どもを授かるのか…。

また、住宅ローンからクルマ、親戚付き合い、住まいの土地など全てにおいてギャンブルであることは間違いありません。

例えば、パチンコで10万円負けてしまう人を人生オワタと言いますが、子どもにまで平気で手をあげる酒乱のバイオレンス男と結ばれ鬱、一家離散になる女性の方が悲惨です。

しかし、その人を選んでしまったのもギャンブルであり、幸せになるかも"勝てるかも…"と思い選んだ道ではないですか。

●なぜ目に見えるギャンブルだけバカにされるか?

例えば競馬で負けてしまった際、慰めてくれる人はいません。

友人などが、"まぁ気を落とすなよ"といってくれますが、本当に心底心配している人なんて一人もいないでしょう。

人が競馬で負けているところを見て悲しくなる人などおらず、大体は"マジでバカなヤツ!そのまま散財しまくって不幸になれ!真面目に歩んでこなかったバチが今頃あたっていい気味だ!"というでしょう。

家族すらそういった目線でこちらを見てくる可能性があります。

しかし、仕事で失敗したとか、上司にいじめられたなど、いろいろな状況で人生の選択を誤ってしまった方に向かって、"バカじゃね!?本気で頭が悪い。これだから劣等遺伝子はよ笑"と悪態づく人は今をときめく勘違い野郎たちのみ。

普通の人たちや回りの人たちは、"大丈夫だ。お前は悪くないし、一生懸命やっていた。選択が少し間違っただけで、歩み直すことはいくらでもできる。

俺たちがついているから心配するな!"と心から励ましてくれることでしょう。競馬で負けた時とは雲泥の差といっても過言ではありません。

●ギャンブルは避けられている!

ギャンブルをする方々の多くは、一般市民たちから避けられています。

しかし、それは我々が悪いわけではなく、一般市民がマスコミなどが勝手に作り上げたイメージを信じきり、洗脳されているだけなのです。

今回、ハリボテブログで伝えたことを理解いただけた方は、どれだけ人生がギャンブルなのかわかっていただけたと思います。

負けてはいけません。私たちはこれからの人生も、たっぷりと競馬を愛し、楽しむべきなのです。