ハリボテです!近年、競馬場はとても安心で安全な場所になりました。
UMAJOさんなどを見るとわかるように若い女性が楽しめる場所はもちろん、家族連れも多い楽しいスポットです。さて、そんな競馬場は紆余曲折があって今の姿になった…ということは言わずもがなといったところです。
その昔、いろいろなトラブルが競馬にもあったのだとか。ここでは、中京競馬における伝説についてお伝えしたいと思います。
●1983年事件!
1983年の1月。この日に、中京競馬場でちょっとした事件が起きました。競馬のマニアックな情報が大好きな方であれば、この年代を耳にしただけでテンションが上がることでしょう。
この日、1983年では特段特別なレースは行われていなかったそう。かなり昔の話ですし、中京で真冬の1月。まぁ、これから春に向けて開催される重賞への切符をかけた前哨戦的なレースが開催されていたと考えられます。
つまり、客の動員数はやや少なかった…ということです。さらに、事件が起きたのが2レース目。2レースというと、まだまだ午前中レベルですので観客も少なかったことでしょう。しかし、それが裏目となってしまう事件が起こってしまったのです。
●子どもが飛んだ!?
当日、レースは順調に進んでおり、馬群は残り300メートルを切ったあたり。
急に空高く子どもが飛んでいったのだそう…。どうやら、レース中のとある馬が子どもを蹴り飛ばしてしまったようですが、観客も一体なにが起こったのか目を疑います。後に騎手が語るに目の前に子どもが出てきた…ということはわかっており、避けるレベルではなかったと。
どうやら、柵を越えたのかなんなのか、その子どもはレース中の本場に入っていってしまったみたいなのです。これは、数多くの観客も目撃していることがわかっており、とある記事でも報じられたほどでした。一体、このレース中に何が起こったのでしょうか…。
●家族で遊びにきていた
模様当時の中京競馬場には、親子が軽く遊ぶことができる遊園地的なところがあったようです。どうやら蹴飛ばされてしまった子どもは、おやじ、母親、姉の4人で競馬場に遊びにきていたようで、おやじは競馬を楽しみ、母以下は遊園地的なところで暇をつぶしていたのだとか。
当然、小さな子どもです。馬が走っている姿を見に行きたくなります。母親が昼飯を購入しようと目を離したとたん、その子どもは本場に向かってダッシュ!
結果、どういったのか馬群に突っ込んでいってしまい、吹っ飛ぶという最悪な境遇にあってしまったのだとか。まさか、こんなことが起こるとは思わわない母親、そして後から自分の息子だと知った父親。顔面蒼白だったでしょうね…。
●助かった!
さて、小さな子どもがトップスピードの競走馬に蹴飛ばされたら命はありません。誰もが、このまま帰らぬ人になってしまったに違いない…と思ったことでしょう。
さらに、蹴り飛ばされた後の子ども衝撃が強すぎたのか微動だにせず。その後で病院に運ばれたものの、誰もが子どもは亡くなったと思っていたことでしょう。しかし、なんとこの子ども。かすり傷程度で復活。元気だったというのです。
これには、本当に両親も姉もほっとしたことでしょう。生きた気がしなかったことはいうまでもありません。
●遊園地が整備された
この事件を受けて、当然ですが中京競馬場は遊園地を整備しなおしたのだそう。こうなってしまえば、誰だってまた同じような悲劇が起こるはずだ…という気持ちになりますよね。結果的に、今ではとっても安全で楽しく家族が遊べる設計になっているのだそうす。
こういった事件があったおかげで、その先の大事故を防げた…という見方もできるかもしれません。子どもには悪いですが、生きていてとにかく良かったな…と思ってしまいます。
●安全性への配慮
我々は競馬場にいくと、競馬で儲けることとか、酒を飲んだり、飯を食ったり、かわいい女の子を探してしまいがちです。
しかし、そんな体たらくな楽しみ方ができるのも、JRAさんが一生懸命安心にこだわった設計をし続けてくれているからにほかならないでしょう。もし、馬がパドック中に暴れて我々のところに来たら…。
レース中に興奮した馬が人だかりの中に突っ込んできたら、二階席が崩れたら…。いや、ちょっと想像しただけで恐ろしくなってしまいます。ハリボテもブログでお伝えしていますが、柵ひとつとっても今はかなり耐久性のあるものが使用されています。
すべてが安全を考慮した、そんな作りとなっているのです。工事関係者だと勘違いされそうですが、競馬場がどれだけ安全に作られているのか、それをチェックするような日もあってもいいかもしれません。
ハリボテは思っています。いつだって、僕たちが楽しく健全にギャンブルを楽しむことができるのは、その裏で働いている多くの人たちの努力によるものだ…と。ぜひ、皆さんも競馬と安全について考える機会を得てみてください!