競馬は動物虐待だ!という愛護団体からの声がある…。

何となく、こういったニュアンスのブログを以前、ここでお伝えしたような気がします。たしかに理解はできますが、馬の気持ちを推し量ることは不可能。言葉を喋れませんからね、馬は。ちょっと思うことがあったので、ハリボテは競走馬について語ります。

●馬は本当にかわいそうか?

まず、競馬の馬がかわいそうか否かという議論の前に、食肉について軽く考えましょう。

馬がかわいそう、だって競馬で負けたらもう用無しでまさかの結末になるんでしょ?という話があります。

詳しくはわかりませんが、牛肉、豚肉、鶏肉。食用になるために生まれ、そして出荷されている動物と比べるとどうなのでしょうか。

ここの議論は今回、スルーさせてくださいね。まず、競馬の馬がかわいそうかいなか…というネタは、人に自由を奪われ鞭で叩かれ、勝ちだけのための生活を強いられている…というところです。

●盲導犬

近頃、盲導犬のCMがやっていて、はっとさせられることがありました。

盲導犬はかわいそうである…という意見が多いが、犬とすれば飼い主といつも一緒で幸せだし、そう訓練されただけでそれをかわいそうというのは人間目線ではないか、というものです。

たしかに、そのために生まれた生き方を全うできているのですし、大好きな飼い主さんといられるのですから盲導犬にとっては嬉しい話です。

例えば、私たち人間でいうかわいそうでない人とはどういう人でしょう。全てを持っていて働かず、ソファで根っこがって金に不自由せず毎日を送る方がいたとします。

一方、代々鍛冶屋の家系で生まれた人が鍛冶屋になるために勉強できず特訓しながらも、最終的に人に喜んでもらえる鍛冶屋となり血を絶やさなかったという生活の人がいたとしましょう。

これ、後者は働きづめで遊ぶことも許されず、金のために…ということでかわいそうなのでしょうか?

●幸せな馬もいる

仮に、人に飼われている馬がいて、長年愛する飼い主との間を無理やり引き裂かれ、鞭で叩かれ競走馬にされたというのであれば切ない話です。

しかし、ゼロベースから競走馬として生まれ育てられ、走っているのですから、馬はそれで幸せなのかもしれません。

何が幸せかなど、結果自分の尺度でしかなく他人などどっちでもいいんですよね。まして馬です。何を考えているのか…。大切なのは、馬がどう生まれ、どういった人生を歩んで行くかです。ハリボテ、今日は真面目なのだ!